ジョンソン彗星(C/2015 V2)
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2017.05.20 03h04m36s(exp.120s,ISO800)
D810A+Apo-Sonnar T* 2/135 ZF.2(F2.8)+PRO1D プロソフトンA(W)+EM-200(K-ASTEC AGS-1X改)
前日に撮影したこと座。
ソフトフィルターで輝星を肥大化させて、星座を形づくる星の並びがわかりやすいようにした。
しかし、望遠系レンズにこのワザを使うと、極端に星像が肥大化してしまう。
個人的にはこれくらいでもさほど違和感はないのだが、いかがだろうか。
ベガ近傍のイプシロン星。いわゆるダブルダブルの最初のダブルの部分が分離している。
85mmや135mmでフレーミングできる星座を、ソフトフィルターとともに狙ってみるのも面白い。
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2017.05.21 00h20m51s(exp.120s,ISO400)
D810A+AF-S NIKKOR 14-24mm f/2.8G ED(14mm,F2.8)+JILVA-170
透明度はイマイチだったものの、せっかくの機会なので出かけてきた。
現地へ到着し車から降りて驚いた。
これまで撮影場所としてきたところへ、なんと明るい常夜灯が設置されている。
いまの撮影場所から見通せる(5月17日記事参照)ため、視界にモロに飛び込んでくる。
撮影環境の悪化は、ますますその速度を早めてきているようだ。
それにしても、何のための常夜灯だろう。
エネルギーの無駄遣いのような気がしてならない。
空はと見れば、何とか天の川が見える程度。
時間の経過とともに、少しずつその見え方ははっきりしてきたが、こんなもんじゃない。
いや、こんなもんじゃないという考え方は、変えていかなければならないのかもしれない。
少なくとも明るい常夜灯が直接目に飛び込んでこない新しい撮影場所は、他に見つかるだろうか。
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◇郊外道路脇2(現在)
視界だけは何とか確保したいと、
これまでの場所から直線距離で700mほど西側へ移動した所を新しい観測場所とした。
ちなみに正面に小さく見える赤い屋根の建物がこれまでの場所。
ここは田んぼの中の道路上だが周囲より少しだけ高くなっている。
高圧鉄塔や木々からも距離を置くため、視界は抜群に開ける。
ただ、身を寄せるものは車しかない。
また、遮るものがない分、地上光や道路を通行する車のヘッドライトはモロに飛び込んでくる。
当地の場合はどこに星見場所を定めても、
南側の山向こうに明るい街並みがあるため、一定の高さまで光害による光芒が広がる。
バブルがはじけて少しは省エネモードに入ったかと思われたが、
このところ復活の兆し。
さらに、防犯の名のもとにLED灯が暗い場所をつぶすかのように次々と設置される。
ここ数年、夜空はずいぶんと明るく、そして遠くなってしまった。
歳を重ねると「夜露は身体に毒だ」とも言われる。
定年退職後は視界の開けたところに、
休憩スペース併設のスライディングルーフ型観測所を建ててなどと夢見たものだが、
宝くじでも当たらない限り、いや当たったとしても、そんな思いどおりにはいきそうもないのが現実である。
以上、5回にわたりこれまでの観測地(星見場所)変遷をたどってみた。
しかし、広角レンズをまともに使える星空が消えつつあるということは、
なんともさみしい限りである。
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◇郊外道路脇1(2000年代~
個人的な活動の中で見つけた場所。
周囲に建物が建っているので、近くを道路が通っているものの、
直接、ヘッドライトの影響がない場所に機材をセッティングできる。
この奥に小さな集落があることから、真夜中でも1時間に1~2台、車が行き来するのが玉にキズだった。
この場所は視界がさほど開けてはいないが、北東方向は抜群に良い。
昇るカシオペヤ座やぎょしゃ座などを何度も撮影した。
しかし、東側には高圧鉄塔があり、電線が横たわるという致命的欠陥の場所。
加えて、比較的近い場所でクマの目撃情報が何度も寄せられるため、
真夜中の一人での撮影行は、身体全体がセンサー化?することになる。
車や建物に身体を寄せ、常に神経を張り巡らせる。
風のいたずらであっても、草むらがガサっと音を立てようものなら、
そこからは一点凝視状態となり、夜が明ける頃にはそれだけでグッタリする状況だった。
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◇郊外高台(1990年代~2000年頃)
光害の波はどんどんと押し寄せてくる。
そのうえ、アプローチ道路の途中にダムが建設されることになり、
大型車両が行き来するようになった。
こちらは夜なのでそれとの遭遇はないが、立ち入り禁止の看板なども掲げられ、
慣れ親しんだ市街地高台に見切りをつけることとなった。
会長がまたまた市内を駆け巡り、新しい観測場所を見つけてきた。
車で30分以上かかり、市街地を抜けることになるが、比較的視界は開け、光害の影響も少ない場所だった。
ここにも機材小屋を設置。
単管+トタンバージョンから卒業。星空観望会講師謝礼などを貯めていた資金でイナバ物置を購入。
100人乗っても大丈夫かどうかはわからないが、冬の維持管理が少し楽になった。
ちなみに単管+トタンバージョン時には、
降雪が落ち着くと、会長以下屈強な面々が雪上を1時間以上歩いて小屋へ向かい、
雪おろしの作業をしていた。
この頃からメンバーの高齢化とともに同好会としての活動量は少なくなる。
小屋の維持管理も容易ではないことから、機材収納物置を撤去し、今後、共有の観測場所は持たないこととした。
必然的には会としての活動はほとんどなくなってしまった。
いまにして思えば、やはり活動の拠点は大切である。
時折、会長と道ですれ違うと、
「ペルセ群の頃にでも、また声をかけて集まってみるか」という話は出るのだが、未だ実現していない。
とはいえ、同好会は解散していないので、形だけ(名前だけ)は続いている。
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◇市街地高台(1970年代前半~1990年代)
玄関から一歩外へ出ればまだまだ天の川が見られる。
そんなうたい文句がまかり通る田舎町にも、光害の洗礼は押し寄せてきた。
周辺には街灯が点いたため、よじ登って袋をかぶせて観望したことも。
会長が市内をかけずりまわり、適地を見つけてきた。
それがこの場所。市街地から車で7~8分。
移動手段がなかった頃は、車に便乗させてもらって訪れた。
市街地からさほど離れてはいないものの、周囲に余計な光はない。
生活光が落ちる時間帯ともなれば、頭上には満天の星空が広がっていた。
この場所には地主の了解を得て機材収納小屋を建てた。
DIYに長けたメンバーが手間をかけ、単管パイプとトタンで小屋を手作りした。
この頃は流星の係数観測に取り組んだ。
機材などなくても、簡単に取り組めるしインパクトもある。
誰が記録係になるかで揉めたりもしたっけ。
西側には松の木があり、そちら側に流れると「松の木群、1個、1等級」などと一晩中係数観測に興じていた。
当時は同好会報も出していて、そこに掲載した観測結果が天文雑誌に紹介されたこともあった。
8月13日、ペルセ群観測明けの朝、ギリギリまで粘って昇るシリウスを見るのが恒例だった頃。
車を停める場所から観測場所までは狭くやや急な上り坂になっている。
車と観測場所を何度も往復しながら機材を運び上げた。
あるとき、メンバーの1人が少し遅れて参加し、機材運搬を始めた。
すると「うぁーっ」という叫び声がし、その声が次第に小さくなった。
駆け寄ると、その細い道から足を踏み外して転落していたのだ。
着ていたサマーセーターは木の枝にひっかかりボロボロに。
しかし機材だけは離すことなく、しっかりと抱えたままの姿勢で落ちていて、後々の語り草に。
観測小屋までの道は山間の一本道。
舗装はしてあるが、車のすれ違いには苦労するような道。この道路の先には集落がある。
あるとき、夜中に何台かの車が立て続けに通った。
こんな時間になんだろうと思っていると、誰かがポツンと「酒を飲んだ人がこの道を通って運転して帰るらしい」
ふと振り返ると、同好会メンバーの警察官が笑顔で立っていた。
いま思うと、この時代が一番充実していたのかもしれない。
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私が籍を置く天文同好会が、この5月13日で発足44年を迎える。
非常に中途半端な年数ではあるが、これを機に、
これまでの観測地(星見場所)の変遷と当時の思い出を備忘録として
振り返ってみることにする。
なお、観測地の写真は当時ではなく、つい最近、撮影したものである。
◇市街地多目的広場(1970年代前半)
ちょうど我が家の裏山に位置する広場で当時は野球場。
移動手段を持たなかった若かりし頃、ここは唯一無二の星見スペースだった。
望遠鏡を使って観測をする時は、タクシーで機材を運搬したことも。
言うなれば星見の「原点」ともいえる場所。
忘れられない思い出は1972年のペルセウス座流星群。
1時間に100個を超える流れ星は、私をものの見事に星空の世界へと引きずり込んだ。
校外補導員に目を付けられ、物陰から見張られていたりした。
市街地に位置しながらも、星見に十分耐えうる夜空がまだまだ残っていた時代。
ペルセ群観測の翌年。
地元に数軒あった本屋さんを巡り、
月極めで天文雑誌を宅配していた世帯を聞きだし、
1世帯ずつ回って天文同好会設立を呼びかけた御仁(以降、会長と呼ぶ)がおられた。
個人情報も何もあったものではない。でもそんな良き時代。
会社員、警察官、高校生など6人が会長宅に集まったのが44年前の1973年5月13日。
この場所で皆既月食を観察したことがあった。
天文イベントではめったに晴れない当地でも、珍しく快晴。
そして抜群の透明度。
次第に欠けていく月を見ながら、メンバーの一人がポツンとつぶやいた。
「月が邪魔。月がなければもっと星がきれいなのに」。
えっ?皆既月食の観察じゃなかったの?
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2017.05.04 19h36m31s(exp.1/80s×30コマ,ISO400)
GS-200RC+D810A+TC-14BS+EM-200(K-ASTEC AGS-1X改)
FL=2520mm,F=12.6
シーイングは思ったよりは良くなかったが、
RegiStaxを使った月面の30コマスタックに挑戦してみた。
以前、試しにやってみた時には、なぜか画像がきちんと重ならなかったが、
今回はうまくいった。
シーイングの良い日には、抜群の効果を発揮する手法なのかもしれない。
今夜は透明度が良いので、月のすぐ近くに恒星が見えると思っていたら、
何のことはないしし座の1等星レグルスだった。
月が度々近づくことからロイヤルスター(王の星)とも呼ばれた所以である。
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